東野圭吾作品で一番泣いた小説『人魚の眠る家』

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  • 著者:東野 圭吾
  • 発行年:2015年(幻冬舎)
  • 2018年 監督:堤幸彦、主演:篠原涼子で映画化

あらすじ

「娘の小学校受験が終わったら離婚する。」そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れたーー。病院で彼らを待っていたのは、”おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。

『人魚の眠る家』背表紙より

感想

 この本を読み始めると一気に非情な世界にに引きずり込まれることになる。6歳の娘がプールでの事故で「おそらく脳死」という状態となり、それを受け入れることすら困難な状態で残酷な選択を迫られる両親。「脳死」か「心臓死」か。臓器提供を選択するのであれば「脳死判定」が行われ、「心臓死」を選べばほとんどの臓器は移植に使用できないという。それを選べと言われるのだ。
 娘の父親、和昌と母親の薫子は、病院から帰宅後、二人で話し合う。その中に以前、娘の瑞穂が四つ葉のクローバーを見つけた時のエピソードがある。

「瑞穂は幸せだから大丈夫。この葉っぱは誰かのために残しておくといって、そのままにしておいたの。会ったこともない誰かが幸せになれるようにって」

「人魚の眠る家」

 上記のエピソードから、瑞穂だったら自分の短い命と引き替えに誰かを助けたいと思うのではないかと、臓器提供を検討することになる。家族みんなが瑞穂のベットに集まりお別れをしていく。物語の序盤で既に泣きたくなる。突然の悲報に見舞われた両親、プールに付き添っていた薫子の母親が自分を責めている様子。意識が戻らなくてもまだ温かい生き生きと血が巡っていることを感じさせる手を持つ娘。いたたまれなくなる。そして自分が当事者だったらどうするかということを一緒になって考える。
 結局、母親の薫子は「温かさを」選択する。「まだ娘は生きている」と。その選択はすごく理解できた。大切な娘がまだ温かいのに、どこかの誰かを救うために冷たくなり失うのは悲し過ぎるから。最初は娘と暮らせて幸せそうな様子の薫子。その選択は正しいかったように思うのだが…….
 薫子はある意味とても恵まれている。まず金銭面にしてもそう。そして夫の会社が特別なものだったから。普通はできない、恵まれた環境だったがために彼女は突き進んでいく。傍から見たら「狂った母親」に。

 そして、もう一つ4歳の少女の臓器移植をする側の立場からも描かれる。アメリカで手術するしかない日本の状況や、高額費用のための募金活動の大変さ。ドナーを待つ両親の心境など…..また別の立場からの苦悩が伝わってくる。

 終盤にさしかかると薫子はただの恵まれた奥様なんかじゃないことがわかる。ただ迷いもせずに突き進んだわけでもなかったということも。最後はもう号泣した。嗚咽をこらえきれないくらい。その他もいっぱい泣きたくなる場面がある。
 それでも読み終わると清々しい気持ちになる。嵐が通り過ぎた後のようなスッキリと空気に包まれる。そしてエピローグでは嬉しくなる。
 小説の醍醐味と言える普段考えないこと、日本の「脳死判定」「臓器提供」などを真剣に考えさせられる。東野作品はいつも没頭して読んでしまうけど、これほど感情が揺さぶられて泣いた作品はない。ひとりでじっくり読んで欲しい。

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