あらすじ
私の初恋は微笑ましいものなんかじゃなかった
初恋、それは身も心も砕くもの。
文藝春秋Books
母を亡くし、高見澤家で暮らすことになった少年に、三姉妹はそれぞれに心を奪われていく。
プリズムのように輝き、胸を焼く記憶の欠片たち。
現代最高の女性作家が紡ぎだす、芳醇な恋愛小説。
感想
「ファーストクラッシュ」とは初恋のこと。「ファーストラブ」だと淡く甘美なかんじだけれど、「ファーストクラッシュ」は、相手の内側の何かを叩き壊したいという欲望だという。
裕福な高見澤家は、父親が突然連れてきた少年、力(りき)と一緒に暮らすようになる。お嬢様育ちの三姉妹は、その異物である力(りき)に俄然興味が沸き、それぞれのやり方で彼に近づく。三人とも力(りき)の内側の何かを壊そうとする必死に試みるが、逆に粉々にペチャンコにされてしまうところが面白い。彼女たちは、気になる力(りき)を前にひどく感情的になってしまい、恥をかき、みじめで悔しい思いをする。今まで培ってきたプライドが粉々に砕けていく。まさに「ファーストクラッシュ」。力(りき)を叩き壊したいのに自分が叩き壊されていく。自分が不憫であるはずの力(りき)に惹かれるということに、どうしても納得がいかない心の葛藤の描き方が、どろどろとしてなくて美しいとさえ思わせる。第一部で次女、咲也が国語の授業で島崎藤村の詩を聞いて涙を流す。
<中略>・・・・・詩の言葉は、あの時の情景と連動して、私の脆い部分をはしから壊していく。そして、その粉々になった欠片は、私から離れるそばから氷が溶けるように雫に変わり、涙となって、はらはらと落ちる。
「ファーストクラッシュ」山田詠美著 第一部
力(りき)は、三姉妹の父親の愛人の子供(三姉妹の父親の子ではない)。力(りき)の父親は、早くに亡くなっており、母親まで亡くなってしまったので、高見澤家で引き取ることに。なので三姉妹の母親は、当然おもしろくない。いつも美しく、優雅にお茶会を開く、「お母さま」も力(りき)に対しては、驚くほど意地悪でねっとりとした感情を抱きながら、力(りき)をいじめる。
力(りき)は「みなし子」で不憫な様子。一番印象に残るのは、三姉妹の父親に何か食べたいものがあるか?と聞かれた時の返答の言葉。この言葉に高見澤家の皆は息をのむ。
「・・・・・・・おなかがくちくなれば・・・・・・・なんでもいいです」
「ファーストクラッシュ」山田詠美著 第二部
力(りき)はこのように同情したくなるほどの健気さと相手の感情をかき乱すことを平気言う辛辣さを併せ持つ。子供のころから大人だったと言われる力(りき)には甘えがない。力(りき)から見れば、高見澤家のお嬢様三姉妹は「甘ちゃん」に見えるのだろう。
力(りき)と三姉妹の母親との関係がとても不思議で興味深かった。三姉妹と力(りき)との関係とは、また別格でお互い憎みあってもよさそうなのに深い絆が結ばれている。老人ホームでの力(りき)が母親に寺山修司の詩を聞かせ、座って「かくれんぼ」するシーンは忘れられない。
「かくれんぼて、ほんまは楽しい遊びなんやな」
「ファーストクラッシュ」山田詠美著 第三部
「そうでしょう?」
「そんなん教えてくれはったん、美紗子さんだけや」
ラストは、山田詠美さんらしくないかんじもあるけど、私は良かったなと素直に思えた。この本を読んで「かっこいい」とか「すごい」とかそういうところには、人の本当の魅力にならないのかなと思った。人がぐっと心つかまれてしまうのは、「カッコ悪い」とこだったり、ついつい感情的になって見せてしまう「本当の姿」だったりするのかもしれない。そして、自分のそういう恥ずかしかった過去も、そんなに嫌がらす、咲也の言うように「数々のクラッシュされた味わい深い記憶」として心の中にしまって置こうという気持ちになる。
次の展開が知りたいからどんどん読み進めるような小説ではなく、心理描写の細やかな文章を味わいながら、ゆっくり読みたい小説。