江國香織作品の中でとびきり上等な恋愛小説をご紹介。一時期、江國さんの文章を一日一回は読まずにはいられないほど江國中毒に。
江國作品独特の淡々した世界の中に狂気へ至るほどの激しい愛情が孕んでいる作品3冊。
彼女たちは、情熱的な恋に落ち、一度は極上の幸福を味わう。そして、その幸福の後のそれぞれの物語。
江國さんの小説は、「常識的でなくてもいいんだよ。」「変でも大丈夫。」と言ってくれているようで、いつも励まされる。そして自分自身の感覚を信じる大切さを教えてくれる。
彼女たちの常識的ではない、唯一無二の切なく美しい物語の中に浸ってみて欲しい。
江國香織さんについて
1964年東京生まれ。小説家、翻訳家、詩人。父はエッセイストの江國滋。1987年『草之丞の話』で毎日新聞社主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本 周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞。1992年『きらきらひかる』で紫式部文学賞、薬師丸ひろ子主演で映画化もされる。1999年『ぼくの小鳥ちゃん』路傍の石文学賞、2007年『がらくた』島清恋愛文学賞など作品多数。
ホリー・ガーデン
あらすじ
果歩と静枝は高校までずっと同じ女子校だった。ふと気づくといつも一緒だった。お互いを知りすぎてもいた。30歳目前のいまでも、二人の友情に変わりはない。傷が癒えない果歩の失恋に静枝は心を痛め、静枝の不倫に果歩はどこか釈然としない。まるで自分のことのように。果歩を無邪気に慕う中野くんも輪に加わり、二人の関係にも緩やかな変化が兆しはじめる……。心洗われる長編小説。
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感想
江國作品の登場人物の中で、この「ホリー・ガーデン」の果歩が一番と言っていいくらい好き。果歩ってちょっと嫌な奴なんだけど、そこがまた魅力的。果歩は何度も仕事を変え、しょっちゅう引っ越して、ふらふらいろんな男とつきあっている。そんな彼女だけれど、自分のスタイルと考えがしっかりあるとこが好き。一人でピクニックに行くところがまたいい。果歩の忘れられない好きなセリフがいくつもある。
私はダイエットするくらいなら、小錦みたいに太っている方がずっとましだと思っているのよ
「ホリー・ガーデン」ーピクニックー 江國香織
私、エプロンつける女って大嫌い。裸で町を歩けっていわれたら喜んでやってみせるけど、エプロンして歩けっていわれたら、恥ずかしくて舌かんじゃうわ。
「ホリー・ガーデン」ーグリーンピースごはんー 江國香織
果歩はしょっちゅう料理をしている。そして、その料理はものすごく美味しそう。里芋とえのきの白味噌汁やグリーンピースごはん。鳥肉と長ねぎの生姜煮になんて美味しいにおいがこっちにもしてきそうなほど。それなのにエプロンは絶対に嫌っていう果歩の美意識がおもしろい。
私が何のためにいつもきれいにマニキュアをしているかわかる?
<中略>
「ホリー・ガーデン」ーグリーンピースごはんー 江國香織
そうしないと、自分が大人だってことを忘れちゃうからよ。
<中略>
五年間。何度おなじことをくり返しただろう。そのたびに果歩はシーツから腕をだし、きれいな色に塗られた爪を凝視して、大人なんだから泣くまいと思った。大人なんだから大人なんだから大人なんだから。
忘れられない心に残る切ない場面。果歩らしさがにじみでている。
果歩はずっと過去に囚われていたけれど、彼女自身も気付かないうちにそこから徐々に抜け出ている。それが爽やかな心地いい風が果歩に吹いているようで、読み終わると果歩と同じような爽やかさを味わえる。
下記は、江國さんのあとがきの言葉。この小説で美しい時間を存分に味わえる。
余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうものばかりでできている小説を書きたかった。
「ホリー・ガーデン」-あとがき- 江國香織
余分な時間ほど美しい時間はないと思っています。
神様のボート
あらすじ
昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの”“神様のボートにのってしまったから”――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。
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感想
神様のボートにのってしまった母娘の物語。「かならず戻ってくる」「必ずさがしだす」と言った「あのひと」の言葉を信じ続ける母親、葉子。「あのひとのいない場所になじむわけにいかないの」と言って引っ越しばかりを繰り返す。その度、転校を余儀なくさせられる娘、草子。
絶対にみつけてくれると約束した。私がどこにいても、なにをしていても、絶対にさがしだしてくれると。
「神様のボート」ー初雪ー 江國香織
そう言ったときのあのひとの目をみたら、誰にだってわかると思う。信じなくちゃいけないということが。たとえそれが叶えられない約束でも、私は生涯あのひとを疑ったりしないだろう。
こんな風に信じる葉子はかっこいいと思う。自分が感じた確かさを信じきる強さ。その反面、危うい。これほど信じられることは幸せなのか?狂気なのか?
そして、幼かった娘、草子は成長していくうちに、信じ切っていた母親の言動に疑問を持ち始める。それはどんどん切なさを増していく。いつまでも箱の中には入っていられないのだと。それによって葉子はだんだん危うくなって心配になる。淋しそうで悲しい。でも、ラストは…..最高。この極上のラストを存分に味わって欲しい。
小さな、しずかな物語ですが、これは狂気の物語です。そして、いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。
「神様のボート」ーあとがきー 江國香織
ウェハースの椅子
あらすじ
あなたに出会ったとき、私はもう恋をしていた。出会ったとき、あなたはすでに幸福な家庭を持っていた――。私は38歳の画家、中庭のある古いマンションに一人で住んでいる。絶望と記憶に親しみながら。恋人といるとき、私はみちたりていた。二人でいるときの私がすべてだと感じるほどに。やがて私は世界からはぐれる。彼の心の中に閉じ込められてしまう。恋することの孤独と絶望を描く傑作。
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感想
3冊の中で一番静かな物語。セピア色の世界で繰り広げられているようなかんじ。登場人物もシンプルで名前もない。「私」「恋人」「妹」「大学院生」そして「絶望」。絶望は「私」が寝ている時、お風呂に入っている時など時々会いにやってくる。
いわゆる不倫の物語だけど、大人の恋というかんじではない。「私」はどこか少女のように無防備に恋している。「私」と「恋人」はお互いをとても大切に思っていて、二人でいるとみちたりている。二人がみちたりていればいるほど「私」は絶望している。寒空のした二人で星を見ているシーンは美しくてとても印象に残っている。
流れ星がいくつも落ちた。なんでもないことのように。私たちはぴったりくっついてそれをみていた。みちたりた絶望のなかで。
「ウェハースの椅子」江國香織
「恋人」はいつもこの上なく優しい。それでもちょっとした言動が「私」を傷つけている。そしてその事を「恋人」もわかっている。「私」が満たされているのに閉じ込められている、その苦しさが読むほどに静かに伝わってくる。
私は自分がたったいま恋人を疑ったことにおどろき、動揺している。信じきっていなければ、愛にいみなどないことを知っていた。
「ウェハースの椅子」江國香織
<中略>
私は恐怖を感じる。信じきっていることが、唯一の武器だったのだ。唯一の、そして無敵の。
武器を失いつつある「私」の最後の行動。静かな世界が一気に色彩を持って激しくなり、突然の事に驚く。あらためて「私」の絶望の深さに気付かされ、胸に刺さる。そしてその後…..また静かな世界に戻っていく。
ラストは微笑ましく「まぁいいんじゃない」という気持ちになる。淡々と静かな物語なのにひたひたと心の中に入り込んで強烈な印象を残す作品。